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黒帯

2年前に公開された映画と同じタイトル、このフレーズに重みを感じるのは当然ですよね。以前にも黒帯の重さというタイトルでブログを書きましたよね。今回は黒帯パートⅡです。
空手の黒帯は、各会派によって審査方法も基準も様々です。短期間で取れるとこもあれば、厳しいとこもあるのも事実。先日、交流試合に参加してくれた誠心会においては、なんと10人組手も審査項目にあるみたいですよ。すごいですね。一般論では、黒帯とは修行者にとって自分のたどりついている位置を確認する手段であり、自分を錬磨するモチベーションを高めるものと言ってますが.........、少し寂しい気がしますね、それでは鍛錬とは?
「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」という意味で、武道においては千日経ってもまだ初心、万日経ってやっと極めるものだと、宮本武蔵が継続的な努力・精進の大切さを説いた真髄の言葉です。長江も千日(約3年)が空手の入口かなと感銘してます、週1回の稽古だと千日に21年かかりますね、毎日稽古する大学の空手部でも3年はかかる、長江なんか38年(平均で週2回くらい)の歳月がたっても入口でまだ停滞してます、やっと基礎を覚え、発展途上の身、極めるなんて夢物語です。
黒帯が最終目標では寂しすぎる、魂は無限なものであると思います。つまり終わりが無いのが武道修行、だから、武道は素晴らしい、そんな光春館にしたいですね。鍛錬の「錬」と武道の「武」、錬武会の黒帯は重い。
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交流試合を終えて

交流試合を開催できるか心配してましたが無事終了し、事故もなく安堵感でいっぱい。
4月から毎週末が空手主体のライフワーク、こんなこと何年ぶりかな?10年以上もなかったような生活空間。
今年ついに掟破りのでしゃばり、グリーンパレスで4年ぶりの指揮をとってしまいました、心変わりしたわけではないのだが、病から開放された今、行かないのが不自然に思えてきたから、「このままでは終われないな」の一言です。
生涯現役の70代、80代の先輩たちとの交流が刺激となり、燻っていた魂が点火、また一から鍛えなおそう、いつまでも闘魂です。海外進出という大それたバカな野望をもった時もあったが、今は小さな道場でも、たとえ少人数でも志が同じで歩いていければ、それもいいかなとさえ思う。今年の交流試合は少ないわりには結構盛り上がっていたから一体感を感じ、カワラ10枚割りとバット2本折の持原と、吉田や石山のこどもに対する思いには脱帽で、さりげなく長江に暗黙のプレッシャーをかけてきます、困ったもんですよ。来年は今年以上のお祭りにしなあかんなぁという義務感に今から襲われてます、嬉しい嘆きです。

回顧

3年前の交流試合を終えた頃、年内に25周年演武会を開催できるのか?と問いただしたが出来ないという回答をもらった、すごい危機感を覚えたことを今でも忘れない、鮮明に覚えている。演武会なんてできる現状でないことぐらい重重承知だが長江のGOサインで急遽開催することに決まった、25周年ができないようなら光春館には未来がないなと感じていたし、もう道場で指導することも二度とないと思っていたから今の環境が信じられない、立て直しの第一歩が昨年10月に基本を初期の頃にやっていた厳しい動きに戻した、最近ようやく厳しい雰囲気が少し道場に戻ってきたかな?そしてTORAの結成、やっと出血を止めれたかなという思いです。この3年間の空白、そして苦しい日々があったから今の健康に感謝の一言。
再来年の30周年には、是非復活したいという思いで精進します、「永遠にともに」をタイトルで行なった25周年、期待をこめて指導者の段位を特別昇段させたが功を成し遂げなかった、錬武会の段位は軽くない、安売りしたことを反省もしてます、地位が人を育てるという先行投資は軽率だったのかな、まだまだ苦悩は続く。

今一度読んで下さい、長江の挨拶文を!
光春館25周年演武会パンンフレット掲載文
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